金沢の瓦について

金沢の街並みを卯辰山のような高いところから眺めると、黒い瓦屋根が目に入ります。冬になると、この瓦の黒と雪の白が相まって、得も言えぬモノトーンの世界を醸し出してくれます。
江戸時代、金沢城の周辺に数多くの家屋が建ちました。黒瓦は、主に寺社や高貴な武家屋敷などに使用され、当時の住宅のほとんどが板葺き、もしくは藁葺きの屋根でした。そういういきさつもあり、江戸時代は火事になると屋根づたいに炎が広がり、瞬く間に大火となってしまいました。
一般住宅に瓦が使用されるようになったのは明治期に入ってからとのこと。蒸気機関車から火のついた黒煙が飛んで、それが火種となり火災が発生するといったことが多発したそうです。瓦の工業生産化が進み、一気に一般住宅にも瓦屋根が普及しました。
浅野川周辺の住宅もそうですが、明治から昭和初期にかけて建てられた住宅のほとんどが黒い無骨な瓦を使用しています。金沢は、黒い釉薬が比較的手に入りやすかったこともあり、屋根はカラスの羽のような黒一色となりました。それが、現在の金沢の街並みの独特なトーンを醸し出しています。
ところが、残念なことに、この黒瓦を使った家屋が毎年100棟ずつ減少しているとのことです。金沢市は、平成31年、金澤町家の保全及び活用の推進に関する条例を改訂し、街並みの保全と改修に着手しました。しかし、一方で、旧市街地の住民の少子高齢化も進み、黒瓦のある古い家屋は空き家となりつつあります。今度は空き家対策が必要となってきたわけです。
住まう人のことを考えれば、コストやメンテナンスのかかる瓦屋根は厄介なシロモノ。ただ、コロニアルやガルバリウムの屋根で彩られる金沢の街並みにもなってほしくない。古いものを守りながら、新しいものを取り入れる、そのためには知恵や工夫が必要です。私たちが何気に見ている金沢や浅野川の情景はそういった課題も抱えているのです。 (写真は金沢東山「山の尾」からの景色)